出光真子ビデオ作品
シモーヌ・ド・ポーボワールの「第2の性」から着想し、芸術家カップルに起こる問題を描く。加恵が自分の制作のための時間とエネルギーを家事や雑用に使い、夫の制作が優先されていく背景には、子供時代にうけたしつけなどが心理学的な要因となっている。女なら誰でも思い当たる“女の子でしょ”の一言、一度はそれに負けてしまうのだが、自己の制作意欲を見つめなおし打ち勝っていく、プロジェクターを使った新しい映像技術が冴える作品
“主婦という役割におさまりきれないエネルギーを持った女を日常生活は凶器となって追いつめていく。自己表現の道を閉ざされた画家志望の女の悲痛な叫びを描いた傑作。
1991年にモンディアルビデオ祭で最優秀実験作品賞、1992年にシモーヌ・ド・ボーボワール・フィルム&ビデオ祭で奨励賞を受賞した作品”
幸福にしてくれるはずだった夫に失望して、息子に代りを求める母親。せつなく悲しい二人の背後に映し出されるものは?
息子は、企業戦士で家父長的な夫に対して無力だった母親を同情する。心理的に息子を所有した母は、その結婚生活を支配する。持てる力を歪んだ形でしか使えない女の状況を示した心理サスペンス。
精神的に娘を抱え込む母親、依存する娘、そして疎外されアルコールに依存する夫。密着した母と娘の姿を通して母性の持っている暗い闇を描いている。
知的で冷静、ものわかりがよく協力的な母と、男達の間をさまよう娘。娘の求めているものは泥臭い母の温もりなのだが…..。室内と屋外の画像の対立がグレート・マザーの凄まじさを表現している
登校拒否をする娘の深層心理に影響を及ぼすグレート・マザー。母親の支配から逃れようとする思春期の少女に特有の葛藤を描いた作品。
1980年代のはじめ、家庭向けのビデオが売りに出されて、販売合戦が華やかに繰り広げられた。一方、母と子の関係、特に子離れできない母親の問題が語られていた。「ビデオも子どもも、専業主婦の空白を埋める道具になる」と私は思い、「ホームビデオを作りませんか」の宣伝を聞きながら「ブラック・ホーム・ビデオ」を意図して、この作品を創ってみた。 内容は、ビデオを小道具に使い、息子が転勤してしまった母の、狂おしくも悲しい言動を描いている。
女性の中の男性的なもの、ユングの概念のひとつ「アニムス」を表現している。故岸本清子さんのパーフォーマンスのひとつ「地獄の使者」を見たときに感じた「アニムス像」。
女性の中の男性的なもの、ユングの概念のひとつ「アニムス」を表現している。「アニムス」は善悪両面を持っているが、偏見、かたくなな態度といった悪い面が現れる様を女性の会話や行為の中で示している